BONUS

未来へ向けた視点を提案する
エッセイ
障害者と考える身体
(3) 情報と意味
文・伊藤亜紗

創造、自由、救いとしての意味

「見る」のに目は必ずしも必要ない。たとえば「見る」のサブカテゴリーである「読む」について考えてみる。視覚障害者が指で点字を認識することは、認識のモードないし注意のタイプとしてはまさに「読む」であり、晴眼者が墨字を認識することと同型である。「見る」を目という特定の器官の専売特許とみなす先入観から自由になるならば、指や耳によって「見る」ことも理解できるようになる──前回のエッセイではこうした「器官からの解放」について論じた。

この器官からの解放は、たとえば「視覚的な情報を触覚によって得る」ということでは全くない。それはむしろ器官への執着である。もちろん、ある器官のモードに従った情報を別の器官のモードに変換する技術が必要になる場面もあるだろう。線をエンボス印刷によって凹凸化し、図形に触れられるようにすることはそのような技術の一例である。しかし、私が実際に視覚障害者とかかわるなかで実感したのは、重要なのは「感覚情報の変換」ではなく「意味や経験の共有」だということである。前回の冒頭で言及したはちまき型の視覚変換装置にしても──おそらくは「おでこ」という①面的であり②脳と目に近く③(普段は触覚器としては用いないがゆえに)センサー(能動的)ではなくスクリーン(受動的)として機能する場所をインターフェイスとして採用していることがゆえに──、使用者が、単に情報を触覚的刺激として受けとるのではなく、「目を使わずに見る」という経験を獲得しうることが重要である。あるいは絵画を鑑賞するにしても、そこに何が描かれているかという情報を正確に把握するだけでは鑑賞とはいえない。1回目のエッセイであつかったソーシャル・ビュー的な実践がまさにそうであったように、その絵を見てどのように感じたり考えたりしたかという「意味」や「経験」をシェアすることの方が、視覚障害者にとっても晴眼者にとっても刺激的で生産的な「鑑賞」になるのである。

ひとことでいえば、この連載で私が考えてみたいのは、「感覚情報の変換」ではなく「意味や経験の共有」である。もっとつづめて言ってしまえば「情報」ではなく「意味」である。ここで「情報」とは、図形や数量など客観的なデータに変換することができ、他の文脈やモード(たとえば別の感覚器官)に変換することができるもののことだ。他方で「意味」とは、ある観察者や受信者によって「解釈」された情報である。たとえば、「いま5時です」というフレーズがあるとする。このフレーズを純粋な文字列として扱うなら、それは単なる「情報」である。しかし現実の場面においてはこの情報は発信した人物や発信された状況次第で、受信者によって異なるさまざまな「意味」を持つ。職場なら「帰宅していいですよ」という意味かもしれないし、発信者が腕を指していたら「私の時計、壊れているのでしょうか」という意味かもしれない。校正作業中なら「居間が誤字です」という意味だったのかもしれない。電話の時報のようにそれ自体は客観的な情報であったとしても、受信者にとっては「間に合った」とか「この声いい声だな」とか、さまざまな意味を生み出すだろう。つまり情報は文脈に埋め込まれることでさまざまな意味を生み出すのである。

補足しておくと、こうした文脈から切り離されたものとしての情報概念は、キャサリン・ヘイルズによれば、1940年代末から50年代にかけての情報理論の発達とともに成立した。第二次世界大戦中のアメリカでは、大学の総力戦体制を背景に、情報理論、生物学、心理学、人文学など異なるディシプリンの学者たちが恊働する雰囲気が生まれていた。戦後もその雰囲気は続いたが、ディシプリンを超えて概念を共有するというエコノミーのために、文脈から切り離された客観的で抽象的な概念としての「情報」が登場するのである。いまや、DNAが保存する遺伝の内容も、脳内の神経間でやりとりされる物質が伝えるものも、明日の天気予報も、等しくみな「情報」と呼ばれる。情報は、それを伝える媒体としての物質的な実体=身体を失ったのである(information lost its body★1)。

しかし身体は情報を情報のままにしておくことはできない。それは否応なく解釈する。生命記号論者のジェスパー・ホフマイヤーは、DNA情報の転写のようなミクロな場面においてさえ、そのときの環境に合わせて必要な遺伝子を転写するという「解釈」が行われ、そこには間違いや忘却が含まれることに注目して、客観的な情報など存在しないことを主張した★2。もし生命にひたすらDNAを転写してくような機械的な情報伝達のレベルしかなかったら、そこにはいかなる創造も自由もありえない。生命にはデジタルな「情報」のレベルと、アナログな「意味」のレベルが、共存することで成立している。こう考えてくると、情報を意味としてしか受け取れないということは、私たちにとって救いである。

創造、自由、救いとしての意味。ちょっと大げさかもしれないが、そうであるからこそ、私はこの連載で視覚障害者たちがつくる意味に注目したいのだ。情報のレベルでつきあう限り、見える人は見えない人に対してどうしたって優位に立っている。そこに生まれるのは、見える人が見えない人に教え、助けるというサポートの関係だ。でも意味のレベルでつきあえば、見える人と見えない人のあいだに差異はあっても優劣はない。見えないからこその意味の生まれ方があるし、ときには自身の身体の不自由さをひっくり返すような痛快な創造性に出会うこともある。前置きが長くなってしまったが、以下では対談の中で私がであった彼らならではの「意味の作り方」をいくつか紹介したいと思う。


大岡山キャンパスの坂道

大岡「山」を感じる

最初に取り上げたいのは、全盲の木下路徳さんといっしょに大学内を歩いているときに彼がふいに口にしたある一言だ。その日、私と木下さんは私の勤務先である東京工業大学大岡山キャンパスの私の研究室にて対談を行うことになっていた。私と木下さんは大岡山駅の改札で待ち合わせ、交差点をわたってすぐの大学正門を抜け、私の研究室がある西9号館に向かう15メートルほどの緩やかな坂道を下っていた。その途中で木下さんが、ふいに「大岡山はやっぱり山で、いまその斜面をおりているんですね」と言ったのである。

私はそれを聞いて、かなりびっくりしてしまった。なぜなら木下さんが、そこを「山の斜面」だと言ったからだ。私は毎日のようにそこを行き来していたが、私にとってはそれはただの「坂道」でしかなかった。つまり私にとってそれは、大岡山駅という「出発点」と西9号館という「目的地」をつなぐ道順の一部でしかなく、曲がってしまえばもう忘れてしまうような、空間的にも意味的にも他の空間や道から分節化された「部分」でしかなかった。それに対して、木下さんが口にしたのはもっと俯瞰的で空間全体を捉えるイメージである。確かに言われてみれば、木下さんの言う通り、大岡山の南半分は駅の改札を「頂上」とするお椀をふせたような地形をしており、その「ふもと」に位置する西9号館に向かって私たちは下っていた。しかし、サークル勧誘の立て看板が両脇に立ち並び、そのにぎやかな文字に意識を奪われながらそこを歩く多くの通行人にとって、そのような俯瞰的で三次元的なイメージを持つことはきわめて難しい。そう、私たちはまさに「通行人」なのであって、「通るべき場所」として定められ、方向性をもつ「道」にいわば運ばれているような感じであった。それに比べて、まるでスキーヤーのように広い平面のうえに自分で線を引く木下さんのイメージは、より開放的なものに思えた。物理的には同じ場所に立っていたのだとしても、その場所に与える解釈しだいでは全く異なる経験をしていることになる。それが木下さんの一言が私に与えた驚きだった。人は、物理的な空間を歩きながら、実は自分の頭の中のイメージを歩いているのだな、と。★3

全盲の木下さんがそのとき手にしていた「情報」は私に比べればきわめて少ない。少ないどころか、たぶん2つの情報しかなかった。すなわち「大岡山という地名」と「足で感じる傾き」だ。しかし情報が少ないからこそ、それを解釈することによって、見える人では持ち得ないようなイメージが、つまり「意味」が生まれたのである。木下さんはそのことについてこう語っている。「たぶん脳の中にはスペースがありますよね。見える人だと、そこがスーパーや通る人だとかで埋まっているんだけど、ぼくらの場合はそこが空いていて、見える人のようには使っていない。でもそのスペースを何らか使おうとして、情報と情報を結びつけていくので、そういったイメージができてくるんでしょうね。さっきなら、足で感じる「斜面を下っている」という情報しかないので、これはどういうことだ?と考えていくわけです。だから、見えない人はある意味で余裕があるのかもしれないね。見えると、坂だ、ということで気が奪われちゃうんでしょうね。きっと、まわりの風景、空が青いだとか、スカイツリーが見えるとか、そういうので忙しいわけだよね」★4

都市で生活していると、見える人が手にする情報の多くは、人工的なものである。看板やポスター、電話番号など、見るように設えられたもの、もしかすると本当は自分にはあまり関係のない=「意味」を持たないかもしれない、純粋な「情報」である。中途失明の難波さんは、失明した当初は情報に対する飢餓感に苦しめられたが、しだいにそうした飢餓感に煩わされなくなり心が安定するようになった経験について語っている。「見えない世界というのは情報量がすごく少ないんです。コンビニに入っても、見えたころはいろいろな美味しそうなものが目に止まったり、キャンペーンの情報が入ってきた。でも見えないと、欲しいものを最初に決めて、それが欲しいと店員さんに言って、買って帰るというふうになるわけですね。それに最初は戸惑いがあったし、どうやったら情報を手に入れられるか、ということに必死でしたね。(…)そういった情報がなくてもいいやと思えるようになるには2~3年かかりました。これくらいの情報量でも何とかすごせるな、と。自分がたどり着ける限界の先にあるもの、意識の地平線より向こう側にあるものはこだわる必要がない、と考えるようになりました。さっきのコンビニの話でいえば、キャンペーンの情報などは僕の意識には届かないものなので、特に欲しいとも思わない。認識しないものは欲しがらない。だから最初の頃、携帯を持つまでは、心が安定していましたね。見えていた頃はテレビだの携帯だのずっと頭の中に情報を流していたわけですが、それが途絶えたとき、情報に対する飢餓感もあったけど、落ち着いていました」★5

難波さんのこうした心理がもはや「悟り」に思えるほどに、現代とはまさに「情報」化された社会である。もっとも、社会の情報化に背を向けて前時代に遡ろうとすることは非現実的だろう。とはいえ木下さんの言う「頭の中のスペース」がどんどん減少しているという窮屈さも、多くの人が感じている事実だ。だとすれば、「情報」に対して「意味」をフィーチャーすることこそが、処方箋の一つになりうるのではないかと思う。意味こそが、私たちの多様性と創造性と自由を開放するものなのではないか。

ところで木下さんが道ではなく斜面の感覚を持ったことは、視覚障害者が世界を捉える仕方の根本的な特徴のひとつを表しているのではないかと思う。つまり「道のなさ」だ。土地に引かれた道は、空間に方向性を生み出す。右に進むか左に進むか、選択肢は2つだ。私自身実験してみて痛感したが、視覚を遮られることによってまず失われるのは、方向の感覚である。進むべき方向の選択肢が2つから無数に増えてしまうのだ。もちろん、私と違って訓練をつんでいる視覚障害者の場合は、個人差はあるとしても、音の反響や白杖の感触によって壁の位置を把握し、道の方向をある程度理解している。しかし視覚がずっと先まで見通すことができるのに比べて、彼らの把握できる範囲は限られている。それゆえ予測が立ちにくい。先に私は、地形そのものをとらえるスキーヤー的「斜面」のイメージが、道順にそって進む通行人的「坂道」のイメージにくらべて、より「開放的」だと述べた。この開放性は、視覚障害者にとってポジティブとネガティブの両面をはらんだ開放性だ。晴眼者が予測が立つあまり「歩かされてしまう」のに対して、見えない人は予測が立ちにくいゆえに不自由さを抱えている。しかしそれは見える人からすると新鮮な「意味」を生み出す自由につながっているのである。

ユーモア

もうひとつは、より意識的な意味づけである。視覚障害者にとって、社会は決して自分の身体的条件にとってフィットするようにはできていない。駅前は放置自転車だらけだし、画面はますますタッチパネルが増え、常にサインを求められる。物理的な環境も身体的な条件も簡単には変えられないが、その意味を変えることによって、社会に無理矢理自分を合わせなければならないプレッシャーをかわすことはできる。そんなある種の「処世術」としての意味づけである。その意味づけはとてもユーモラスなものだ。

たとえば難波さんは、自宅でスパゲティをよく食べるのでレトルトのソースをまとめ買いしている。ソースにはミートソースやクリームソースなどいろいろな味があるが、すべて同じ形状のパッケージに入っている。つまり、どの味か知るには、開封してみるしかないのだ。ミートソースが食べたい気分のときに、クリームソースがあたってしまったりする。客観的に考えれば、こうした状況は100パーセントネガティブなものだ。でも難波さんは笑いながら話す。ソースを開けるという行為を、一種のくじびきや運試しのようなものとして遊んでいるのだ。「残念というのはあるけど、今日は何かなと思って食べた方が楽しいですよね。心の持って行き方なのかな」「まあ楽しんでいますよ。「思い通りにならなくてはダメだ」「コントロールしよう」という気持ちさえなければ、楽しめるんじゃないかな」★6。つまり難波さんは、見えないことに由来する自由度の減少を、ハプニングの増大としてポジティブに捉え直しているのだ。

私が初めて彼らのこうしたユーモアに接したときは、本当に脳天をぶたれたような衝撃を受けてしまった。何しろ、情報の少なさが、ポジティブな意味を生んでいるのだから。他にも、たとえば回転寿司店で「まず皿をとってみて、食べてみて、何のネタか当て」たり、別の視覚障害者の話だが、自動販売機で飲み物を買うときにまるでロシアンルーレットのように何が出るか分からないままボタンを押したりすることがあるという。もちろん、だれだって遊びたくない気分のときはあるし、むしろこうしたユーモアを発揮して生きる場合のほうが時間的には少ないかもしれない。またさまざまな障害のなかでも、このようなユーモアを発揮できるのは、限られたいくつかの障害だけだろう。だとしても、「意味」を武器にして見るために作られた社会を遊ぶ彼らの痛快さは、情報を与えることだけに傾きがちなケアの精神に一石を投じるものではないだろうか。難波さんは、見えなくなって初めて自宅にもどり一人暮らしを再開した頃、駅までの道のりが「何が出てくるか分からないお化け屋敷」になったと語っていた。彼らが欲するときには細かい情報を与え、サポートをすることも必要だろうが、同時に、彼らが出会ったお化けについて話を聞くことも必要ではないかと思う。それは、私たちにとってもありふれた町を楽しむガイドになるかもしれないし(それはひとつの演劇やダンスに経験になりそうだ!)、そこからよりよい町づくりのアイディア生まれるかもしれない。意味をシェアするためには場をつくる必要があり、それだけのコストがかかるが、意味こそが多様で創造的で自由な社会にするための武器になりうるのではないか。そのことを彼らは教えてくれる。

★1
Katherine Hayles, How we became posthuman, University of Chicago Press, 1999. Chapter 1.

★2
ジェスパー・ホフマイヤー『生命記号論──宇宙の意味と表象』(松野孝一郎、高原美規訳)青土社、2005年
★3
見える人でも、空間を認識する仕方にはかなり個人差があるように思う。私自身は、道から見える眺めを基準に、つまりグラウンドレベルで土地を把握する傾向がある。それゆえ地図を読むのが非常に苦手で、目的地に行くのにふだんと違う道順で行くことができない。
★4
http://asaito.com/research/2014/04/post_13.php
★5
http://asaito.com/research/2014/06/post_16.php
★6
http://asaito.com/research/2014/06/post_16.php
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