BONUS

現在のダンスの環境を考える
ジャーナリズム
トヨタコレオグラフィーアワードの可能性 (6)
文化生態観察・大澤寅雄さんとの対話

BONUSでは昨年のサイトをはじめた当初から「トヨタコレオグラフィーアワード」(「トヨタ」)を取り上げてきました。これはそのシリーズの続編です。

前回は吉澤弥生さんに問いを投げかけて、次にBONUSはあるいはダンスの関係者たちは何をしたらいいのか相談しました。今回は吉澤さんとの対話をさらに深めるために企画しました。今回の対話のお相手は大澤寅雄さんです。大澤寅雄さんは「文化生態観察」の立場から、アートや芸能に関心をお持ちの方で、シンクタンクでのお仕事でも知られています。

「トヨタ」を考えることは、ダンスをめぐる社会を考えることだと思っています。いや「ダンスをめぐる」を取っ払って「社会を考えること」と言ってもよいかもしれません。どんな社会に暮らしたいのか、そうした視点をベースにダンスを環境を振り返り、希望を育むことができたら、と望んでいます。

大澤さんから「双方向、多方向の議論」という言葉が語られます。これは「入れ替え可能性」と言ってもよいのかもしれません。「評価する側」は「評価される側」でもあり、「評価される側」は「評価する側」でもある。この入れ替え可能性を肝に命じること。これが大切なような気がします。

BONUSが今後「トヨタ」をこのような形で取り上げることはしないつもりです。BONUSは「トヨタ」の監視役を演じるために作ったわけではないからです。(木村以外の誰かが行ないたいと提案してきたら、相談の上、さらに進めるかもしれませんが)「トヨタ」の可能性を考えたことで得たものを、どのように今後展開していくか、ポジティヴな道筋を検討していきます。

木村覚


木村からの質問1:大澤さんとダンスあるいは「トヨタ」との距離

自己紹介も兼ねて大澤さんのダンスあるいは「トヨタ」との関わりについて、まず教えてください。

大澤さんからのアンサー

私は、シンクタンクに所属して文化政策やアートマネジメントに関する調査研究をしています。まず、ダンスとの関わりから説明しますと、プライベートなことですが、私自身は手塚夏子というダンサー・振付家のパートナーです。彼女との出会いは2002年頃、横浜の小劇場、STスポットにボランティアで関わっていた時期で、それ以来、STスポットのお手伝いを数年間して、現在も監事として関わっています。STスポットとの出会い以前からダンスの公演は観ていましたが、私の身の回りの友人や知人にダンス関係者が増えたのは、STスポットがきっかけです。

次に、トヨタコレオグラフィーアワードとの関わりですが、今までに複数の友人がノミネートされてきましたので、素朴に、友人たちを応援する気持ちで結果を眺めていました。過去に最終選考会の公演も観たことがあります。その時の感想としては、コンペだということを前提に観ているためか、一つひとつの作品に優劣を見極めるような気分になったことが、自分自身があまり経験しない「心地」でした。そうした気分を含めて楽しんでいたと思います。


木村からの質問2:社会学者・吉澤さんとの意見交換の感想

大澤さんの立場から、吉澤さんと木村のやりとりを読んだご感想とご意見を聞かせてください。

大澤さんからのアンサー

私は吉澤さんの立場に近いので、彼女の意見に共感するところが多くありました。私も吉澤さんと同じように、文化事業の評価を研究していて、吉澤さんが「文化事業評価も、本来は事業をよりよく改善していくための手段にすぎないのですが、どうしても評価自体が目的、つまり事業仕分けのようなものと同義にとらえられ、拒否反応が広がってしまうという現状があります」と言われていることに賛同します。私は文化施策や文化施設、文化事業の評価について説明を求められる際には、最初に「評価」という言葉の意味を紹介するようにしています。そこには3つの意味があります。

1. 物の善悪・美醜などを考え、価値を定めること。
2. 品物の値段を定めること。また、その値段。
3. 物の値打ちを認めてほめること。

出典:http://www.weblio.jp/content/評価

この「評価」の3つの意味はきれいに区別できるものではありませんが、例えば作品の批評では 1. の意味が、事業仕分けでは 2. の意味が重視されている傾向にあると思います。私が事業評価に関わる場合にいつも軸足を置いているのは、3. の意味を意識しています。

ただ、どのような意味であろうとも「評価する/評価される」というフレームを文化やアートの領域に持ち込むこと自体が危うい側面を持っていることを、ある種のジレンマとしても感じています。

「トヨタ」がアワードを授与する場を創設したことは、コンテンポラリーダンスに評価する/評価されるというフレームを導入したことでもあると思います。「コンテンポラリー=同時代」のダンスでありながら、現在進行形の表現を「評価」することは可能なのか、また、それを事業として継続するうちに、現在進行形であるはずの表現が、先行提示された評価結果におもねるような表現を再生産することで、「同時代性」が遠のいていくことにならないか。

そうしたジレンマを、吉澤さんと木村さんのやりとりを読みながら感じました。


木村からの質問3:「評価」のパラフレーズ

「評価」の定義、これ面白いです。これはダンスになぞらえるとどんなことが言えるのかなと想像してしまいます。できたら、この点も大澤さんに書き込んでもらえたらと望んでしまうところです。もしダンスのことは木村が解釈して指摘した方がよいと言うことでならば、何か大澤さんのフィールドのなかでこの評価の3つの定義をパラフレーズしてみてもらえると、それを参考にしてダンスならばどうだろうかとこちらも言えるような気がします。

大澤さんからのアンサー

私は仕事で、劇場やホールの事業評価や、文化に関する政策評価について考えることが多いのですが、例えば「劇場」を取り上げたときに、先に挙げた3つの評価の意味に沿って、何が評価の対象になるか、簡潔に整理してみました。

1. 物の善悪・美醜などを考え、価値を定めること。
→ 自主企画事業の公演に対する批評、感想、満足度

2. 品物の値段を定めること。また、その値段。
→ 企画した事業に関する予算の折衝、予算や決算の査定

3. 物の値打ちを認めてほめること。
→ 企画した事業に関するアドボカシー(政策提言、権利擁護)

先の回答にも書きましたが、私は 3. の視点での評価にいつも軸足を置いているつもりですが、1. や 2. の視点を簡単に切り離せるわけでもありません。

例えば劇場の運営組織は多くの場合、常に 2. の意味での評価に晒されています。数年前から国や地方公共団体では「事業仕分け」「行政事業レビュー」の嵐が吹いていて、その事業に幾らコストがかかり、どのくらいのリターンがあったのか、いわゆる「コストパフォーマンス」が評価対象になりがちですし、文化予算が標的にされることも少なくありません。そういう状況では 1. の視点の評価だけでは対抗することが難しいと感じることが多く、 3. の視点の評価に軸足を置いているのです。それが、劇場を例にとってわかりやすい説明を求められれば、例えば劇場の存在が「地域の活性化に貢献している」「アウトリーチなどの活動で教育や福祉に寄与している」「劇場が地域のパブリシティ効果を引き出している」といった言葉になるでしょう。

こうして説明すれば、評価の考え方には様々な側面があることはわかっていただけると思いますが、果たして 1. から 3. までの視点を統合し、全体を評価できるような「設計」は可能なのかと考えると、私自身の経験では、まだそこに至っていないというのが正直なところです。

「トヨタ」では、アワード自体が当然 1. の視点での評価を行うことが目的と言えるでしょう。ですが、アワードのためにトヨタ自動車株式会社の社会貢献活動の予算を割いているわけですから、社内では 2. の視点での評価に当然さらされていると思います。また、社会的な認知が高いとは言えない「コンテンポラリーダンス」という表現の価値を発信する意味では 3. の視点も欠かせないことだろうと思います。


木村からの質問4:大澤さんからBONUSへのリクエスト

質問2、3の内容をベースに、大澤さんの方からBONUS(とくに「ジャーナリズム」コーナーなど)へのリクエスト(具体的な活動への提案)があったら、教えてください。

大澤さんからのアンサー

木村さんが、「トヨタ」のアワードの審査委員各自の方々から選評を募ることを実践されました。そして、吉澤さんが「トヨタ」の設計についてのアンサーで「(1)トヨタの事業目的は何かを明らかにする。(2)それに合致する審査員として誰を選んだかの理由を明らかにする、ということ」を挙げられています。

木村さんの取り組みと吉澤さんの提案に加えて私が考えるのは、審査員を代表する方の選後評の発表を求め、それを伝え、議論のテーブルを用意することです。

「トヨタ」の最終審査会が「次代を担う振付家」を選ぶ際に、「次代」にどのようなビジョンを持つのか、その担い手に何を期待するのか、という考えを共有してこそ、最終的に一人の振付家が選ばれるのだろうと思います。審査員各自の選評を読みながら、審査会としての「次代」へのビジョンや期待を言葉にして発信することの必要性を感じました。

参考までに、ダンスとは分野が異なりますが、公益財団法人トヨタ財団が行う助成事業では、選考委員長の選後評が発表されます。例えば、国際助成プログラム(東アジア・東南アジアの各国・地域を対象とした共通課題への政策提言型の活動に対する助成)の「選考委員長選後評」では、選考会では何を課題と捉えて、どのような申請プロジェクトをどのような視点で選考したのかが発表されて、併せて採択されたプロジェクトが紹介されています。

ただ、質問2への私のアンサーで述べたように、こうした選後評の発表は、評価する側におもねるような表現を再生産していくことにはならないか、というジレンマにもつながります。ですから、こうした選後評に対しても、議論を開いていくことが重要で、振付家を評価する側は、その評価の眼差しについて評価されることも受け入れることが求められます。「評価する/評価される」という関係が固定化するのではなく、評価する人が評価されることも受け入れながら、双方向、多方向の議論が活発化することが大事ではないかと思います。

木村さんから吉澤さんへの質問で「所属する内部を批評することの難しさについて」述べられていましたが、たしかに、そのような現象を私自身も当事者として感じています。これを打開することが、木村さんの言葉を借りると「最終的な目標はもの言える民主的な社会だとして、そこへの道筋を具体的に考える」ことだと私も思います。そうした言論の場を、ダンスを通してBONUSの「ジャーナリズム」コーナーから発信されることを期待しています。

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