スペシャル・イシュー「ダンスにおける保存と再生」でまず最初に取り上げるのは、先日(2014/7)、『機劇 〜「記述」された物から出来事をおこす』という上演を行った篠田千明(しのだ・ちはる)の試みについて。インタビューの詳細は、動画を見てもらえたらと思うのだけれど、少しだけコメントを付しておきたい。
ぼくは快快(古くは小指値)の頃から彼女の活動に注目し続けてきた一人だ。篠田を含む彼らのエネルギーは、単なる「演劇の更新」という狭い枠を超えた、〈人と人とが出会った際に何が成し遂げられうるのか〉といった、人間に向けたより広く本質的な問いへと向かっているようで、チェルフィッチュが置いた布石とは一風変わった、しかし、それに匹敵する重要な試みが含まれていると思ってきた。その篠田が、快快脱退後に最初にトライアルしたのが〈「記述」された物から出来事をおこす〉というアイディアだったことに、ぼくはまず驚いた。そして、上演を見終えて、「これこそがぼくが以前から見たいと思っていたダンスの上演形式ではないか!」と思ってしまったのだ。新鮮な体験だった。ダンスを振り付けではなく、編集の問題として、あるいは「フレーム」の問題として篠田は考えていた。インタビューでは何度か「成りゆきですね」といった発言を篠田はしていたけれども、まだ確信犯的に行っているわけではないのかもしれない今回の試みに、だからまだ再考の余地は多く残されているのだろうけれども、ゆえにだからこそ多くの可能性が示唆されているように感じた。そして、上演に際して、映像をどう活用するのか/しないのかについての篠田らしい知性が注がれていたことにも注意しておきたい。
木村覚