
Date | 2014年7月31日 19:33 |
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From | 木村覚 |
To | 小林耕平 |
小林耕平さま
その後お変わりありませんか?
ところで、小林さんからもらった最新のメールには内容に広がりがとてもあって、すぐには返答できませんでした。
読みながら思ったことがあります。それは、ミュージカル映画における音楽のことです。
ミュージカル映画において音楽は奇妙な位置づけを与えられていると思います。音楽は主人公の頭の中で鳴っていて、同時に観客の耳にも届いています。そして、それは通常、主人公の気持ちに観客が同化するための、つまりその場をより迫真のものにするためのものです。つまり、「この」「いま」の感情が痛烈に観客に響くために音楽は機能します。しかし、どうでしよう。その音楽は、100%先に録音されたものです。「先に」というのは、主人公がカメラの前でパフォーマンスする前ということです。主人公もその点では観客と同じく、リスナーとしてまずは受け身の立場でこれを聞いたはずです。聞いた上で、あたかもそれと自分の感情が同一のものであるかのごとく振る舞います。ここに、一抹の胡散臭さを漂わせるのがミュージカル映画というものなのかもしれません。胡散臭いなと40%くらいは思わせながら、しかし、観客は気づけばそれを上回る60%くらいの気持ちで主人公に、そして音楽に同調していきます。これが魔法というものの本質なのでしょうが(つまり100%なんてことは魔法にはあり得ない、しかし、この60%をどう引き出すか、そこに魔法の魔法性があるのかもしれません)、音楽が先にあり、映像が後になるというこの順序に、何か秘密があるような気がしたのです。
どこか「音楽が鳴ってしまったのだから踊らざるを得ない」、そんな気持ちがありはしないでしょうか。これを小林さんのアイディアにつなぐと「温泉が吹き出してしまったのだから、それに応えるしかない」、ということになるでしょうか。『雨に唄えば』も、唄ってしまうようなその気分が始まってしまったこと、それに抗することが出来ない事態というものが、主人公の内側で作動してしまった。内側は実は闇です。この闇を強調していくと、きっと暗黒舞踏に接続するのでしょう。それはともかく。
ぼくはだから、小林さんがともかく温泉地で撮影をしたということは、先述した「音楽が先」であることを意味しているような気がするのです。ジーン・ケリーが「雨に唄えば」という曲が先にありつつ、あたかもそれがいま自分の頭の中で初めて創作されたものであるかのように振る舞うところに、あの場面の不可思議な説得力があるとすれば、温泉地で録音されたものというのは、そうした先行する音楽に比肩するようなそんな素材でありはしないかと想像しています。
木村覚

Date | 2014年8月2日 |
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From | 小林耕平 |
To | 木村覚 |
CC | 神村恵, 福留麻里 |
みなさまお待たせしました。
雨に唄えば-カラオケ編-、完成しました。
youtubeにアップロードしましたので、ご覧ください。
木村さん、bonusでも観れるようにして頂けたらと思います。
解説
『雨に唄えば』のあの場面をまずは言葉によってトレースしました。
- ご覧の通り、「雨に唄えば」の曲そのものは外してあります。
- 映像は、福島県の土湯温泉街と、そこから少し山の中に入った所に新野地という地区があり、そこの相模屋旅館の温泉で撮影したものを、「雨に唄えば」に添わせて編集しました。
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曲を外したものを見ると、ただの風景の連続になってしまいます。
そこで、「雨に唄えば」の主人公ドン(ジーン・ケリー)の動きとカメラワークを記述するテキストを風景動画に重ねることで、風景に動きと連続性を作り出すことを試みました。 - このことは、「雨に唄えば」という曲と風景というレベルの異なるものの交換を試みたということも強引ですが言えるのではないでしょうか。
- むしろ『風景』厳密には「大地による条件によって作られた街」「地球の内部から噴出するエネルギー」が、「雨に唄えば」という曲に置き換わることは可能なのか?
- むしろ、人間側(ダンサー側)、鑑賞者側、編集者側の技量によるところが多いかもしれません。
今後の討議では、5)6)の問題について議論を重ね、9月の撮影時までにこの映像内におけるダンス、または、人、身体における「運動」がどのように生成されるのか?アイディア出しをしていくことができればと思います。
木村さんへ
書簡の応答として、先ずはこの映像をご覧ください。
「音楽が先行する」ことと、この土湯という場、また地形の条件によって街が作られたと仮定するならば、音楽と入れ替えることも可能ではないかと思いました。
それが実現すれば、かなりクレージーだと思います。
神村さん、福留さんへ
ちょっと硬い文章になってしまいましたが、今後のやりとりは、あまり書簡であることを気にせず普段のように気楽なメールのやりとりの方が、記録としても生っぽくて面白いと思います。
質問やアイディア、何でも気楽にメールしてください。 メールでのやりとりが不便でしたら、チャットワークなどのサービスに切り替えます。
では、よろしくお願いします。
小林耕平