2014/09/17
Aokidは一時期、東京ELECTROCK STAIRSに参加していたことで、ダンス界隈に知られていないことはないとしても、決して認知度の高い作家ではないと言うべきだろう。けれども、ぼくはAokidにこの〈連結クリエイション〉に参加してもらいたかった。BONUSを発案して最初に声をかけようと思った作家でさえある。彼のパフォーマンスに触れる度に、目から鱗が落ちるような気持ちになったし、これほどフレッシュな印象を抱く若い作家は、ぼくは知らない。とくにBONUSの映像とダンスを掛け合わせるというアイディアに関して言えば、このアイディアを先駆的に進めているひとりだとぼくは思っている。たとえば、昨年のこの上演を見たときの衝撃はすごかった。
スクリーン越しに展開されるたかくらかずきの映像も素晴らしいのだけれど、それに負けないAokidのダンスのペナペナ感に驚かされた。彼の肉体は後ろのスクリーンで展開されるアニメーション(?)に負けないくらい「アニメーション」的だ。肉体が軽く薄い。二次元と思わされるくらいにペナペナなのだ。あのAokidの身体ならば、映像に拮抗できるのでは? BONUSを構想する際に、ぼくはそんな予感を抱いていたのだった。
これから読んでもらうのは、そんなダンサー/振付家Aokidとの最初のメール書簡です。どうぞ。
木村覚
Date | 2014年8月17日 22:02 |
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From | 木村覚 |
To | Aokid |
Aokidさん、こんにちは。BONUSの〈連結クリエイション〉に参加して下さり、ありがとうございます。
今回のテーマをめぐってぼくが書いたもの、読んでいただいていると思うのですが、現時点でのAokidさんのアイディアを教えてもらえたらと思います。
よろしくお願いいたします。
Date | 2014年8月18日 18:49 |
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From | Aokid |
To | 木村覚 |
作品についてのアイディアですが、あの日[注:2014年6月12日にたかくらかずきさん、Aokidくんと木村とでミーティングした日]にたかくらくんと会って以来作品についてはまだ2人で話していないので、いったん自分の中で今はアイディアを考えています。 まず、最初にたかくらくんとどんなことをしたいかとか、映像作品として提出するということで、そこで出来る面白さから思いついていこうとやっています。 今ちょっと公園とか遊具みたいなものに興味がありまして、これまでもたかくらくんとはお客さんが参加するだとかインタラクティブなことを作ってきていまして、たかくらくんとやるならやっぱりそういうことがしたいと思っています。その上で今は、なんか外にトンネルを作るだとか、考えています。そのトンネルを人が思わず通ってしまうとか、何か人がしてしまうようなこととかを、しかも作品を作る楽しさもクリアしつつしたいなぁと個人では考えています。どうなるかわかりませんが、いったん自分の中ではそういったところから小さいアイディアを出してイメージをいくつも持っていこうかと、考えてます。 テーマに関してもまだまだ漠然とした状態でとりあえず、頭の隅に置いているような状況です。
個人の活動としては7月にaokid cityという自らが企画したイベント作品と、N.N.N.5という横浜STスポットで行われた若手ダンスグループ作品のコンペにて、アーティストの橋本匠くんと作品を演り終えたところで、ようやくBONUSの方に少しづつ移行していけたらと思っています。
今までも、たかくらくんと2人で何かを作る時は、こどもの遊びの延長みたいなものが傾向としてあるので、今回もそんな部分を取り入れることになるのかな、と考えています。
まだどんな遊びになるのかはちょっと2人で話しながら決めていくことになると思いますが、一案としてたとえば、外になにか作り物の装置なんかを作ってそれで公共の場なんかをいつもの風景と変わったものにしたいなぁ、というアイディアがあります。トンネルだとか、大きなボールだとか、なにか人の体に普段ふつうに通る際にはしないような動きを強いる装置みたいのを作るだとかのアイディアがあります。 僕が動くのか、それとも通りなどを行く人が動くことになるのかはわからないですが、そういうどこかしらダンスというこで、物理的に動く、動いちゃうことに興味があります。これは、まだわかりませんが物理的に達成してみたいこと、です。 劇場とかでは出来ない、もうちょっと特定出来ないような要素を外では出来ると思うので、映像はそういう光景も収めてしまうことも可能だと思うので、この機会にそういったことを取り込めないかと考えたりしてます。 そして、『雨に唄えば』のあの場面に関してですが、これは本当に素敵なシーンで、僕はダンスをするのですが、あんなに華麗に踊ることは出来ません。羨望のまなざしでいつも映画を観てしまいます。 僕は雨がとても好きで、雨ってロマンチックだと思っています。 街の雑音も雨の音がすこしそれを消したり、物事が少し抽象的になるような感じで、なんというか自分の見えてる世界にもっとフォーカスしていくような感覚があり、雨に日はこっそりと喜んでいたりします。 なんかちょっとバカっぽい発言しちゃってすみません、 他の制作者の方の取り組みと比べて、テーマの向き合い具合があらく雑な感じなんですが、解像度低め感ありつつも取り組んでいきますね、この感じでちょっとやってみたいと思ってます。 よろしくお願いします。
Date | 2014年8月24日 8:22 |
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From | 木村覚 |
To | Aokid |
Aokidさん、メッセージありがとうございます。全然、恐縮したり、へりくだったりしなくていいですよ。「面白い!」と思ったことは共有したいし、「課題だな」と感じることも共有して、できるだけ面白くなる方向でAokidさんがクリエイションしていくことを支え、応援していきたいです。
ジーン・ケリーとAokidのどっちが優れているではなく、どっちも優れていると言うのがぼくの考えです。ケリーも素晴らしいですが、AokidはAokidとして素晴らしい。その上でなんですけれど、ケリーあの場面のダンスのどこに羨望しますか?何か具体的なポイントとか、ニュアンスとかありますか? 例えば、Aokidがあの場面のダンスを完コピしたら、どうなるのだろう……と想像してしまいます。そこではみ出す部分はケリーに劣ったところではなく、Aokidらしさだろうと思います。
なんとなく、「作り物がある外」がぼくにはあの場面の街角に思えてきました。あの街角は、彼にとっては自分の心の躍動を表現する舞台ですが、彼以外の人にとってはいつものただの雨の街です。ケリーは例えば、石畳を踏みます。例えば、電灯に上ります。例えば、ショーウインドーのポスターに描かれた女の子にアピールします。壊れた雨樋に体を寄せます。歩道と斜度の段差で遊びます。広場の水たまりに足を入れてじゃぶじゃぶします……。そう見直してみると、なるほどこれは確かに遊具のある公園と言うか、遊び場みたいだ、と思います。ぼくがただ「公園」と違うと思うのは、公園で遊んでいるならば、何の問題もないわけだけれど、これがただの街角だということです。街角を遊具のある世界に読み替えること、それが「作り物のある外」の話なのかなと、思います。(こうやって、ぼくがAokidさんに投げた言葉と言うのは、そう考えなさいといった指令では全然ないつもりです。だから、そうじゃないと否定してくれてまったく構いません。ただ、こういう言葉を投げかけられたときに、Aokidさんのなかで、「では、ぼくの思っていることは本当にそういうことなのだろうか」と反省すると思うんですね。ぼくが促しているのは僭越ですがこの「反省」であり、それ以外ではありません、ですのよ!)
Date | 2014年8月27日 12:18 |
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From | Aokid |
To | 木村覚 |
そうですね、漠然と羨望していたわけですが、きっとジーンケリーのずっとちょっと上の方を見ながら口元は緩んでしまっていて、恋した時のうまくいった時の油断がそうさせる表情のまま、そのまま踊り切ってしまうような部分に羨望しているのだと思います。そういう人にとって幸せな瞬間をダンスにして残ってしまったことがすばらしいと思いますし、気持ちを投影してしまうようなダンスだと思います。 街に関してですが確かにそうですね。言われてみれば、ふつうの街かもしれないです。でも赤いポストや緑の葉っぱなど、映像の絵を気にして色を配置していると思うのでもちろんケリーだけでなくカメラのパンディングも含めてダンスするような工夫はしているのだと思います。 そして、そうなんですね、まさに街角を遊具のある世界に読み替えてしまってるところに素敵さがあって、実はふつうの街だって結構詳しく見てみると遊びようがあったりするのかもしれないです。スケートボードとかを街で見かけるともう少し街が違う顔を見せることに気づきます。ちょっと手がかりになるような街のポイントに少しアクションを与えてみることでちょっと違う面がそこに現れたり。 何かしらのアクションを与えることで街があたかもそれを受け取る遊具のように見えたり、またその逆に遊具が人になにかアクションのきっかけを与えたり、その両方にちょっと興味があるかもしれないです。 もしかしたら外枠は“雨に唄えばのあのシーン”をそのままもらって、それに対して僕らなりに“振付け(映像、ダンス、街)”を作りかえていくというのも一つのアイディアかもしれないなぁ、と今至っています。
Date | 2014年8月27日 12:52 |
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From | 木村覚 |
To | Aokid |
メッセージありがとうございます。「雨に唄えば」のあのシーンあるいはテーマは創作のヒントだと思って下さい。「雨に唄えば」のオマージュにならなくていいですよ。あそこにある力の源泉だけ奪取してあとは、Aokidのものにしちゃってください。むしろAokidさんにストレートに映像のダンスを依頼しても良いのだけれど、縛りとしてテーマを設定して、その縛りを動力源にして、いつもとちょっと違うところまで飛んでみて欲しいなと思っています。
Date | 2014年8月28日 3:24 |
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From | Aokid |
To | 木村覚 |
ありがとうございます。 そうですね、どうなるのか実はまだ全然わからないです。でも結局作る際に、僕なりに解釈をして創作をして、雨に唄えばのオマージュみたいになっても、たぶんあんな風にはいかなくて強く僕らの作品になるような気はしているんです。だけど、それだと確かにいつもと同じような感じと見えるかもしれないのですが。いつもとちょっと違うところはどうやっていけるのか、いくことができるのか、わかりませんがよろしくお願いしますー!