2014/09/19
小林耕平チーム(小林さんの他、振付家・ダンサーの神村恵さん、福留麻里さん+木村)のチャットでのやりとりを抜粋してまとめました。小林耕平チームは9/3-5に福島県・土湯温泉にて撮影を行いました。この撮影まで8月からチャットを利用して(またSkypeでの会議を2回行った)、チームはミーティングを重ねてきました。
長文や、添付データなどメールのようなやり取りをチャット上でできるので便利です。神村さんの参加待ちです〜。あと、チャットだと返信急ぎがちですが、のんびりやりましょう。
ビデオ見ました。すごくいい雰囲気の温泉地ですね〜
温泉の印象が強くて今のところ温泉地にしか見えません〜。動きの記述の仕方がやっぱりダンサーとちょっと違って面白いなと思いました。 原作の映像も改めて見ましたが、ケリーのダンスは固くて重いけどそれがうまく生かされてる振付だと思いました。最後は恋人のことほぼどうでも良くなってるというか、ただ楽しく子供帰りしてるのがいいですね。
神村さん、
映像観て頂けましたか。
ありがとうございます!
温泉地にしか見えませんねー(笑)
温泉地、温泉、また土湯という場が「雨に唄えば」という曲と入れ替わるものとして位置付けられればと思うのですがそんなこと可能でしょうか?
温泉に入ることは直接身体に影響与えるので、音楽を聞くことで身体を動かすことと、強引ですが対応関係にしてみようと思いました。
記述の仕方違うのですか!
どのあたりが違うのか知りたいです。
ケリーのダンスは「固くて重い」のですね。
言われると、そのように見えてきます。
踊っているうちに子供帰りするというのは、土湯での撮影に反映できそうです。
初めの衝動が、時間を経過することで、違う目的を持ってしまうことは、日常よくあります。
土湯での撮影も、あれこれ試すことで思いもよらないことに取りつかれたいです。
9月の撮影までに、どのように組み立てていきましょうか?
福留さんは、映像を観てどのように思いましたか?
ご意見お待ちしています。
映像私も見ました!
言葉の記述を追うほうに必死になってしまい、温泉の映像との重なりにまではあんまり反応できなかったのですが、文字にして改めて読むと、歌の歌詞とか、行動がばかっぽいというか無邪気すぎて笑ってしまいました。
結構好きです。
温泉のお湯の沸騰は、ジーン・ケリーの心の高揚感と重なると思うのですが、雨が地面に跳ね返る様子とも重なる感じがする時もあって、色々ヒントになりそうな気がしました。
あと温泉てやっぱり演歌っぽいというか、どうしてもちょっとコッソリ感しんみり感を感じてしまいました。
街角っていう思いっきりパブリックな場所と、お風呂っていう思いっきりプライベートな場所の意味合いの違いでそう感じたのは大きいとも思うのですが。。
もしかしたら、ブクブクしてるお湯だけなら割とダイナミックな感じ、自然現象と結びつく感じがするけど、湯の外側の木枠が映像に入ってくると「お風呂」って印象が強くなるのかもしれないとも思いました。
あえてそこは気にしない、というのもありかもしれないけれど、今回はなんとなく私は気になりました。
ダンスについては、私と神村さんは一体、何として踊る?んだろうっていうことをまずは自分たちの中で目星をつけたいです。二人ともジーン・ケリーなのでしょうか。
ジーン・ケリーの人と、すぐ真後ろにくっついてジーン・ケリーの影の役っていうか、内面を描写する(ex. 嬉しいときはピョンピョン跳ねるとか。。)人ってするのもありなのかな。時々役割を交替したりしつつ、、と思ったりもしました。
でも、もう少し考えたいかなー。もっと抽象的なことでも良いのかもしれないし。小林さん的にはどうなのでしょうか。
ジーン・ケリーの踊りについては、私のイメージは「見せる」意識が強い人という感じで、がんばっちゃう印象を受ける事が多いです。肩らへんに力が入りやすいというか。
質感としては神村さんの書いていたように、かたい、とか重い、とかと重なるかも。
私もがんばっちゃう方向としてはこういうタイプかもしれません。
憧れるのはフレッド・アステアなのですけれど、ジーン・ケリーも結構好きです。
というか、「雨に唄えば」のこの場面、とっても好きです。
水たまりのところとか。
こういう気分てありますよね、恋の病に限らずとも。
とりあえずの第一印象まで。
木村です。のんびりペースで、賛成です。あと、後に適当にエディットできますので、いまはリラックスしてどうぞ、会話を進めて下さいませ!
なんとなく、お湯の地下から吹き出してくる上昇性と雨の空から降ってくる下降性が、コントラストとして感じられて、「雨」を「湯」として(逆かな「湯」を「雨」として?)見るならば、その上下反転性がちょっと気になります。
みなさんのメッセージに応答しながら、今後の進め方を提案してみます。
福留さんからは、映像を観た感想として、温泉地から演歌を想起したことは面白いと思いました。
後ほど、「ミュージカルにおける音楽」について考えるときに話題に出したいです。
温泉宿という「コッソリ感」と温泉街という「パブリックな場」、それと「自然現象としての間欠泉(プクプク)」。
勝手な推測で話を進めますが、土湯に限らず、温泉地の成り立ちとして、人間より先にひとの手の入っていない自然な状態が在り、そこに人が移り住み街が出来た、と単純に考えたときに、福留さんの指摘されたキーワードは、これら「成り立ちの階層」を指摘しているように思えました。
そのように捉えると、温泉地はそもそも成り立ちの階層が見えるように出来ていると思いました。
それは温泉という自然の力を活かした街の設計があるのだから当然なのかもしれませんが、今回の作品を考える上で何か手掛かりが掴めそうに思います。
それは、雨に唄えばが、自然現象である「雨」と、超プライベートな「熱情」がリンクすることと対応します。
木村さんのご指摘された、お湯の上昇性と雨の下降性による上下反転性!というのは、まったく気づかなかったのです。
作品の構造に深く関わってくる切り口だと思いました。
これまで木村さんとの書簡のやりとにおいていくつか重要なキーワードが出てきています。
(末尾に木村さんのテキストと書簡の抜粋があるので、参照してください。)
その中で、ひとつキーワードを選ぶならば、「同期:シンクロナイズ」にしたいと思っています。
世界が別様に存在していることを意識し、それらがどこで重なり合うのか?
同一のものに成るのではなく、別のままの状態で重なりあう関係だと思います。
同期する対象は自分の存在より先行して存在しています。
それは映像やミュージカル、音楽の鑑賞経験全てに言えることでもありす。
付け加えると、演じるというのも同様だと思います。
おふたりは普段の制作の中で「同期」についてどのようにお考えでしょうか?
そして、映像(カラオケ編)をご覧になった上で、どのようなことができると思いますか?
今回この企画に参加している、木村さん、神村さん、福留さん、そしてぼくはどのように同期することができるのでしょうか?
ご意見お聞かせください。
小林耕平
木村さんのテキストと書簡からの抜粋
「彼はクレイジー」
> はっきり言って彼はクレイジー(恋の病)です。そのクレイジーな力が彼をとらえていること、それがこの場面を駆動させるエンジンのような役割を果たしています。
> 彼の心に太陽が輝いていたとしても、街が一変して雨がやむ、ということはありません。両者のコントラストが消えることはありません。でも、世界は変わらなくても、彼のクレイジーさによって、世界の見方は変わります。「プロップダンス」
> 次第に心の調子をあわせていき、二人きりになったところで踊りだすのですが、大事なのは、踊りの始まる直前、二人の足が次第に調和し、歩調を合わせていくところです。「ミュージカルと魔法」
> まやかしなんだけれど、事実ひとの心を動かしてきた「効力」のある嘘でもあります。歩くことが踊ることへ移行する際に何かが起きている、その変化の中で、何かが変わった。魔法を魔法と知りながらもその効力に屈する。「書簡(1)」
> 日常から非日常への移行ではなく、パラレルに何層も異なる世界が平行していて、その切り替えポイントが魔力を発する効果があるのかもしれません。 木村さんの言うところの「世界は別様に存在する」ことだとぼくも思います。「書簡(2)」
> 主人公の気持ちに観客が同化するための、つまりその場をより迫真のものにするためのものです。つまり、「この」「いま」の感情が痛烈に観客に響くために音楽は機能します。しかし、どうでしよう。その音楽は、100%先に録音されたものです。「先に」というのは、主人公がカメラの前でパフォーマンスする前ということです。主人公もその点では観客と同じく、リスナーとしてまずは受け身の立場でこれを聞いたはずです。聞いた上で、あたかもそれと自分の感情が同一のものであるかのごとく振る舞います。ここに、一抹の胡散臭さを漂わせるのがミュージカル映画というものなのかもしれません。胡散臭いなと40%くらいは思わせながら、しかし、観客は気づけばそれを上回る60%くらいの気持ちで主人公に、そして音楽に同調していきます。これが魔法というものの本質なのでしょうが(つまり100%なんてことは魔法にはあり得ない、しかし、この60%をどう引き出すか、そこに魔法の魔法性があるのかもしれません)、音楽が先にあり、映像が後になるというこの順序に、何か秘密があるような気がしたのです。
この書簡(チャット)の進め方について提案なのですが、メッセージに応答する形式だと、ちょっと重くなる、返答しずらくなるかなと思いました。
切り口は、とりあえずぼくが設定した「同期」ということにして、そこからアイディア出しができないものかと思います。
思いついたことを気楽に、前後の文脈を気にせずに書き出してみる。ブレストみたいな感じで収拾が付かないぐらいでもいいのかも。
その方が問題を広く掴めるように思います。
撮影直前に実践可能なものを選び、タイムテーブルに乗せ、撮影に向かうのはいかがでしょうか?
アイディア出し
同期に注目したのは、会話から歌に切り替わったり、歩くことがリズムを刻むことに切り替わったり、物または場を使うことで物も人のように見え始めたり、前後で見え方が切り替わる瞬間を映像に収めてみたいと思います。
気分がいいときに歌いたくなるとか、ノリの良いリズムがあると身体を動かしたくなるなど、ダンス以前に衝動として行為のレベルが切り替わることがあります。
前者だと「気分」後者だと「リズム」など何かと同期する瞬間があるように思います。
- 自分の「いまの気分」に合ったものを探す。土湯の名産品はコケシです。例えば、そのコケシの中から自分の「いまの気分」に合ったものを選ぶ。コケシでなくて漬け物とかまんじゅうとかでも良いかもしれません。ぼくの場合、食べ物は気分で選びますし。
- 温泉街で「リズム」について考えるならば、歩きながら街中に文節を探してみたり、繰り返されるものを探してみたりしながら、そのリズムに同期することも考えられます。※「雨に唄えば」ではケリーはどのような文節に同期して身体を使っていたのか?曲と場の双方の文節の重なりも在ったと思います。
- 同期に関しては身体に限らなくてもよいかもしれません。 例えば、自分とは異なる主張がある人物の発言を、自分もまったく同じように発言してみる。 または、どなたかの声明文を「雨に唄えば」のリズムに乗せて唄ってみる。
- 逆に無意識に同期しているものをズラしてみることも考えられます。
- 服装も浴衣を着ることは、温泉地ならではの同期です。
- 温泉に浸かることは何を同期しているのか?
など、パラレルに存在するものが、不意に同期してしまう瞬間について考えてみたいです。
神村です。
小林さんの動きの記述の仕方が変わってると書いた点についてですが、何が違うんだろうと映像見直しながら考えてみたところ、人物を軸にしないで見ている視点、なのかなと思いました。記述の対象が顔になったり腰になったり足になったり、部分がフォーカスされる感じとか、あとはカメラの動きも人物の動きと同等に扱われてる感じですね。ダンサーに自分を投影しないで、非共感的に見てるようなところが小林さんぽいなと思いました。
でも考えてみればこれはカメラに向かって(或いはカメラで撮影しているという前提で)踊っているわけだから、カメラの動きも意識せざるを得ないのは当然ですね。
脱線ですが、ミュージカル映画って改めて見ると不思議ですね。明らかにセットの中でカメラに合わせて演技しているのに、劇場舞台でやっている風がどこかに入っていますよね。つまりプロセニアム的な正面がないはずなのに、どっかに必ず想定してる風ってことです。
福留です。
話しが枝分かれしちゃうかもなのですが、
最近、感情に興味があって。
文字違いの「どうき」ですけど、動きの「動機」を考えた時に、神村さんとか私が普段やってるのって、あんまり「感情」に直で結びついてないけど、ジーン・ケリーの動きの動機は、やっぱり感情ですよね。
雨に唄えばのあの場面で私が好きな所のひとつは、傘を、雨に濡れてるおじさん(でしたっけ?)に渡す場面なんですけど、あれも、巡り巡って、恋のハッピーな気持ちから出て来てる行動で、ああいうのいいなって思って。
(自分が跳ねたり回ったりするだけじゃなくて、何かに影響が広がってく感じが)
ああいうのやりたいなと思いました。
ちょっといいこと的な。。
例えば、
ゴミ拾う
おにぎり食べたあととかに、ほっぺたについてる米粒を無言でとってあげる
倒れてる自転車とか鉢植えをもとに戻す
出しっ放しの蛇口をしめる
みたいなこと??
ちょっとまだ漠然としてますがー。
おはようございます!
同期について考えてたまま時間がたってしまいました。
まりちゃんの言ってる感情の話って、同期のことともつながりますよね。
同期することって自分の中で何かを先取ってないとできないなと思っていて、
たとえばケリーが傘を通行人に渡すときも「うれしくてしょうがないから傘いらない」と思っていたからその人と同期することができたわけだし。
ものとかリズムとかと同様に、感情も同期の材料として扱うやり方って、何かあるでしょうか。
あと小林さんが書いたように1度Skypeしたほうがもうちょっとまとまってくる気がします。Skypeいかがですか? 私は夜なら今週大体大丈夫です。
2014/08/12 小林・神村・福留によるSkype会議を開催
木村さん昨日の会議まとめました。ご確認ください。
第1回skype会議報告
以下神村・福留・小林の3人で話合った内容です。
1:以前の書簡の中で神村さんからご指摘あった「ミュージカル映画において、カメラに合わせて演技しているのに、劇場舞台でやっている風に見える」の箇所を分析してみました。映画の場合ケリーのダンス(演技)は、カメラの向こうのひとりの対象(観客)に向けて表現しているように見えること、そのことは同時に、ドン(ケリー)の恋の気持ちはキャシーに向けてられて表現されたものでもある。というように表現が向けられている対象が少なくとも2つある。
ひとつのカメラに向かって演ずるものの、その先で観るであろう不特定多数の観客を相手にしている。それに対して、劇場舞台上でのダンス(演技)は、目の前の大勢の観客に向けての表現。客席の手前から奥まで、多方向から向けられる視線に対して表現をするために、振り付けが大仰になる。
また、映画などでは、カメラという機械の目とその後の編集によって、人間の視覚体験が変わる。そのことは、演じる側の表現内容も変わる。 カメラならば他人と向き合うときにはありえない至近距離で相手を見つめることができ、微細な動作さえも捉えるので、鳥肌が立つことも表現に成り得る。
「雨に唄えば」においては、メディアに対して表現方法が異なっている。カメラというひとつの視線に向けてさえも、目の前の多くの観衆を想定した大仰な身振りゆえに違和感を引き起こしているのではないかと結論に至りました。
2:トキメキ
「恋の病」を我々なりに言い直すと「トキメキ」(神村)になる。
「雨に唄えば」における印象として、じめじめ、後ろ髪を引かれるような、陰鬱な印象はなく、カラッとしている。それはこれから起こることへの期待も含まれているのではないか。3:大仰な表現
雨に唄えばにおける「大仰な振り付け」、タクシードライバーに向かって「俺を乗せずに行ってくれ」と大きく手を振ったり、満面の笑みをカメラに向かって浮かべたり、そのような大仰な表現に挑戦してみる。
※目の前の大人数の観客を想定しての身ぶり、しかしカメラは至近距離で撮影している。
4:その際に、音楽は必要か不必要か?
個人の内面、感情を表現するのに、音楽に頼るところが大きいので一度「雨に唄えば」という曲の効果について考えるにも、一度音楽を除いた状態で表現可能か試みてみる。
音楽に代わるものを土湯という場、もしくは物などから探してみることを試みる。神村さんにとってのトキメキに相当するモチーフは「蒸しパン」。
しっとりと湿った質感、匂い、手に持ったときの感触などがトキメキに近い感覚を想起させる。
福留さんにとってのトキメキに相当するモチーフは「見晴らしの良い眺め」、自分から見える眺めと同時に、身体の内部の見晴らしも良い。
トキメキと場・物
福留さん:トキメいたときに胸が高鳴ることにシンクロする現象として、間欠泉がポコポコと湧き立つ感じ。
神村さん:自転車をこぐ感じ(進む感じ)など時間を刻む状況とトキメキは響き合うのではないだろうか?
時間を刻む現象が近いのでは?
- お湯の表面を叩く
- PCのキーボードのタイピングの音(神村)
- 風が木を揺らす(福留)
- 扇風機が頭を振る動きに合わせて、髪の毛を乾かしていると、トキメキが発動する。(神村)
身体的に表れる現象もある
- 汗をちょろっとかく(福留)
外からの身体への刺激などは?
- マッサージ器
カメラだから捉えられる微細な表情
- 対象の部分だけ見える
- 足音だけ聞こえる
- 匂いを感じさせる(?)カメラでも不可能
- 服を着たまま湯に入る
> このアイディアだとトキメキというより、深い部分の感情が表現されているように見えてしまう。カラッとしていない。状態の変化:動きの切り替わり
バンド・ワゴンの場面において、ふたりの足の動きが合うことに関して。
社会性のある世界からふたりの内面の世界へ突入し、また社会性へとふたりの様子が移り変わる。
また、当然のことながら、ふたりの振り付け、そしてカメラワークなど全てが事前に決まっている中での表現である。
「振り付けが全て決まっている状態」であることで、相手とのタイミングを計ったり、カメラなどは先回りしたり、現場で試みる内容も増えるように思う。
- 社会性から内面世界への「切り替わり」に焦点を当てる。
- のれんをくぐる
> 場所が切り替わることで内面も切り替わることもある。
今後もう一度skype会議をする予定です。
それまでの期間は、これらの内容にアイディアを足していく作業です。以上、3人の会話を、ぼくなりに整理しようと思い、言い換えた箇所もあります。
また、補足する説明もあります。
もしおふたりが読んでみて、違う箇所がありましたら、補足してください。
ただいま帰省中でiPhoneしかなくて、丁寧な返事ができずすいません。いやー、詳細なノートありがとうございます。
小出しですいません。アナ雪は、YouTubeで最も有名なレリゴーの歌が見られます。カメラワークはダイナミックですがアイディアは雨に唄えばと共通点が多いです。カメラが静止しダンサーが立ち止まるとそこに舞台が生じます。劇場において舞台と客席を分かつ額縁をプロセニアムアーチといいますが、カメラのフレームというものと、このアーチに類似性があって、それがカメラが四角く切り取るとそこが舞台になることを可能にしているかもしれません。
アナ雪観てみます。カメラが静止しダンサーが立ち止まると舞台が生じるというのはヒントになりそうです。
あとトキメキのことですが、トキメくことが、単に個人的な枠を超えて広がり自然の摂理と重なり合うというところに、小林さんの温泉と雨に唄えばがあるとすれば、最近見た河瀬直美の『2つ目の窓』はかなり近いところを捉えているかもしれません。
河瀬直美さんの最新作ですね。いま劇場でやっているのですね。確かに映画が得意とするテーマかもしれません。というか河瀬さんのならではのしっとりした描写ですかね。できれば観たいです!
2014/08/27 再度、小林・神村・福留・木村によるSkype会議が開催される
3日からよろしくお願いします。
タイムテーブルだけとりあえず書いてみました。
のちほど、内容のまとめを送ります。
気づいたこと、変更した方が良いところありましたらアドバイスお願いします。
土湯タイムテーブル
9月3日 8:00 JR鴻巣駅 集合 13:00 土湯到着予定(昼食含む) ~18:00 下見 土湯+野地地区(相模屋) +仮撮影 *17:00~18:00 小林モニター設置(相模屋) ~20:00 食事+温泉 ~22:00 翌日の撮影の打ち合わせ 9月4日 6:00 起床 ~ 7:00 食事 ~11:00 撮影 ① ~12:00 昼食 ~15:00 撮影 ② ~19:00 撮影 ③ ~22:00 夕食+温泉 ~24:00 撮影 ④ 9月5日 7:00 起床 ~ 8:00 食事 ~11:00 撮影 ⑤ ~12:00 昼食 ~15:00 撮影 ⑥ ~17:00 舞台準備 ~18:00 公開撮影 ⑦ ※オープニングアクト 17:00~20:00 ~21:00 相模屋旅館へ撮影データのインストール ~ 3:00 都内到着(夕食含む)
これまでの話し合いで出たことを、以下にまとめてみました。
上から順に取り組んでいければよいのかなと思っています。
(細かい単位からはじまり、ルートを決めると同時に振り付けも決まり、場を変えてみる。)
ぼくのまとめ方なので、もしアドバイスなどありましたらよろしくお願いします。
それと、追加のアイディアや、これまで出たけど入っていないことなどありましたら、ご指摘ください。
ハミングやイヤホンなどは新たにぼくが追加しました。
音楽をその場で流すという案ですが、1つには機材の調達が難しいのと、もうひとつは、YouTubeはけっこう著作権が厳しく、何小節か動画に取り込まれていると、既にアップされているデータを検索し、警告されます。
なので、イヤホンで聞くとか、自分たちで唄うとか、間接的に扱う方がよさそうです。
小道具
浴衣、手ぬぐい、下駄、お湯、蒸しパン、扇風機、のれん、桶、自転車
場
間欠泉(煙)、温泉、団子屋、足湯、階段、お店、木が風に揺れる、お湯の表面、川遊び、のれん、階段
制作進行
【A】最小の単位の振り付けまたは動きについて考える。
小道具と場、リズム、内面の表出、そして同期(シンクロ)することなど。
場によって動きが決まる。動きによって場が作られる。
※ぼくの興味としては「どのようにして振り付けがされるのか?」
おふたりのダンスに対する考えの違いが、討議するなかで現れてくることを期待しています。
また、映像として記録したいことです。
内面が漏れる様子。内面を共有しているように見えるためには。
※仮説ですが「シンクロ:同期」することは、鑑賞者にとっても一致する瞬間を共有することになるので、何かしらの効果があるのではないかと思います。
実践:
内面の表出
- 大袈裟な表現(見た物を言葉に出す)
- トキメキ(内面性の表現)
- フレーム(舞台と映像)
- ささやき、ひとりごと(内面が漏れる)
リズムを見出す
- お湯の表面を叩く
- PCのキーボードのタイピングの音(神村)
- 風が木を揺らす(福留)
- 扇風機が頭を振る動きに合わせて、髪の毛を乾かしていると、トキメキが発動する。
- 水のかけあい > 川または温泉
身体的に表れる現象
- 汗をちょろっとかく(福留)
外からの身体への刺激などは?
- マッサージ器
- 温泉に入る
カメラだから捉えられる微細な表情
- 対象の部分だけ見える
- 足音だけ聞こえる
- 匂いを感じさせる(?)カメラとマイクで可能か?
- お互いがお互いの背景になっている
音楽(外部からの内面そして動きへの影響)
- ハミング
- イヤホンして音楽を聴く
- その場にある数など、条件からリズムや身体に対する指示を探す
【B】ここまでの取り組みで出てきたものを、ひとつのルート内で試みる
※ルートを決めることで、全体の枠組みが決まると同時に振り付けも決まる。
※振り付けの中で共通の道具なり場を決める
【C】同じ振り付け、動作を異なる場所で行う。
※編集をしても動きの連続性を失わない。
※異なる角度で撮影することで、カメラを数台使ったような効果を得られる。
※映像内での主体を撮影ごとに変えることも可能。
※至近距離と遠距離による撮影により、舞台と映画の観客、表現を届ける相手の違いについて考える。
小林さんありがとうございます!
ひとつ、こないだの話に出て来ていたことで、
カメラの方向を意識する
というのは、可能なら挑戦したいです。
(伝える対象について考える、というのとかぶってるかもですが)
その時に、神村さんが言ってたように、
視線を誘導する対象を設定しつつ、
そことは別の次元?を作る感じでカメラを見る、とか、何か作戦は必要かもですが。
行きの車でそのあたり、話しあったり、見たものを口にだしまくる練習したりできたらいいな、と思います!
衣装、ふたりとも浴衣は微妙かなと私も思ったのでしが、
例えば、神村さんは浴衣、私は短パン?みたいなラフな格好とかならありかな、と思ったりしてました。
いくつか何か持ってったりしてみますね。
下駄は持ってきます!