2017/5/26
2017年1月18日、東京工業大学のディジタル多目的ホールを会場に「BONUS 第4回超連結クリエイション テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)編」が行われました。事前に昨年、2016年の秋に砂連尾理、手塚夏子、山内祥太の3人の作家にこの「テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)」というテーマで、ワークショップを含むイベントを実施してもらいました。この活動をベースに、3人の作家が持っているアイディアとさらにワークショップ参加者が展開するアイディアを会場に持ち込むということが、この晩、行われました。また、2015年から進めてきた「ロイ・フラー再現プロジェクト」の成果発表もあり、最後には、平倉圭さんとこの晩で起きたことを振り返るトークもありました。100名に近づく観客とともに(観客のみなさんには、単なる観客ではなく、時にワークショップの参加者になってもらいもしながら)、トータルで3時間をゆうに超えるBONUSならではの長丁場で、観客も含め、多数の作家たちの多数のアイディアが披瀝されました。これは、それらのアーカイヴを兼ねる形で、当日の模様を再現したページです。
付録
本イベントまでに実施された関連イベントのデータをここにまとめておきます。
Part 1 ロイ・フラー再現プロジェクト
およそ100年前にヨーロッパに一大旋風を巻き起こしたフラーは、テクノロジー×ダンスの創始者だった。「サーペンタイン・ダンス」の再現とともに、フラーの今日的解釈にも挑戦する。
ロイ・フラー再現プロジェクト
ダンスの研究とクリエイションのためのプロジェクト・チーム。15年より進行中。ダンサーの柊アリス(旋舞師)、建築家の宮晶子(日本女子大学准教授)、振付家・ダンサーの高野美和子(日本女子体育大学准教授)、映像とダンスを掛け合わせる作家木村絵理子、BONUSの木村覚が中心メンバー。今回は衣装プラン・製作に池田木綿子(Luna Luz)氏、照明に宇野敦子氏に協力を仰いだ。
柊アリス(ひいらぎ・ありす)
旋舞師(スピンドルアーティスト)。コンテンポラリーを背景に持ち川村毅の海外ツアー公演に出演。2011年エジプトの伝統舞踊タンヌーラを学び、自分のダンスを「スピンドル・ダンス」と銘打ち活動中。東京人形夜所属。『HARAJUKUPERFORMANCE+DOMMUNE2012』ラフォーレ原宿賞受賞。
木村絵理子(きむら・えりこ)
振付家・映像作家。1992年生まれ。日本女子体育大学舞踊学専攻卒業、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。映像を使ったダンス作品の振付や、ダンスを使った映像作品の制作を行う。
このパートについては、こちらをご参照ください[*準備中]
Part 2 砂連尾理のアイディアをめぐって「継承の媒体としての身体 不在の在をめぐって」
2016年10月に行われたトーク&WSから出発して、砂連尾の「継承の媒体としての身体」へ向けたアイディアを掘り下げてゆく。掘り下げるゲスト参加者はWS参加者でもある尾花藍子(振付家・演出家)。
尾花藍子が解釈する砂連尾理のアイディア
今回のアイディアについて
知らない言語に出会った時に、人は身体の情報で、分かろうとするのではないでしょうか。
私は、初対面だった砂連尾理さんの「他者と向き合うときの身体の在り方」に興味が湧きました。
その在り方に、砂連尾さんのアーティスト活動の根っこが内包されているように感じました。
「異なる者同士が共存するために向き合う」さまを、本人が不在でも、本人以外の「異なる身体のみ」で立ち上げることができるか、を可視化した試みです。(文=尾花藍子)
尾花藍子(おばな・あいこ)
ダンスカンパニー<ときかたち>主宰。シェアハウス&スタジオ<LAB83>経営。美大卒業後、行為表現を路上で始める。近年は、振付・演出という手法を用いて表現活動を展開。物事の一瞬一瞬を静止画に見立て幾重にも色を塗り重ねた一枚の抽象絵画のような舞台作品を創作している。若手演出家コンクール2014ノミネート。横浜ダンスコレクションEX2016コンペティションⅠファイナリスト
Part 3 山内祥太のアイディアをめぐって「秘密のダンス」
2016年11月のWSでは、スマホアプリによるクロマキー講習会を実施した山内。彼に誘われ渋谷の街に飛び出して、参加者はポータブルなクロマキー撮影に挑戦した。その過程を基にした神出鬼没のプレゼンテーション。
「秘密のダンス」
今回のアイディアについて
僕は映像作家であり、クロマキー合成を扱っている作家ではあるけれど、クロマキー合成について詳しいわけではないんだよなぁ。と、そんなことを頭の片隅に置いてワークショップやパフォーマンスを企画しました。(文=山内祥太)
山内祥太(やまうち・しょうた)
映像作家。1992年生まれ。東京芸術大学映像研究科メディア映像専攻卒。せとうちこくさいげいじゅつさい2016、WROビエンナーレ(ポーランド)などに出展。学生時代に彫刻と映像を学び、近年は#DCGと実写映像を組み合わせた映像作品を制作。
Part 4 手塚夏子のアイディアをめぐって「ソーシャル・トレース」
「トレース」の未来はどんな形? 9-10月のWSで参加者たちは手塚の「トレース」を独自に解釈した。そのアイディアと、手塚による「トレース」の新作(新アイディア)が披露される。掘り下げるゲスト参加者は山本浩貴(いぬのせなか座)と村社祐太朗(新聞家)。
手塚夏子「ソーシャル・トレース」
今回のアイディアについて
トレースして生まれる動きは、実際にやってみると誰がやっているかわからなくくらいの動きになる。つまり、だれもが普段やっている何気ない動きだから、その中に埋もれてしまう「動き」になる。今回、座席から外れて所在無げに座ってくださったたくさんの方々が海のように、また海に注ぐ川のようにそこに居てくださり、私もその中に埋もれることができた。また、その中で交わされる観察からトレースが生まれ、小さな波立ちのように動きが点在し、それらを多様な視点から見たり、見えなかったり、感じたり、耳を澄ませたりあるいはやり過ごしたりする時間を共に過ごした。(文=手塚夏子)
手塚夏子(てづか・なつこ)
96年より、マイムからダンスへと移行しつつ、既成のテクニックではないスタイルの試行錯誤をテーマに活動を続ける。01年より自身の体を観察する『私的解剖実験シリーズ』始動。10年より、国の枠組みを疑って民俗芸能を観察する試みであるAsia Interactive Researchを始動。13年、関東から福岡県へと活動拠点を移行させる。
山本浩貴が解釈する手塚夏子のアイディア
今回のアイディアについて
もともとの手塚夏子さんによる〈トレース〉は、映像によって記録-固定化された相手の身体の動きを基点として、複数の私の観察、言葉、練習から成る網を編むことで、相手を、言語論理とは別の回路で――私自身の内的対話、反復的制作における技術の生成が、そのまま相手の理解になるような仕方で――理解しようとするものだった(としてみる)。一方、ワークショップでは、トレースする相手が複数人の参加者に開かれ、誰かの言葉によって誰かの身体の動きを私の身体において再生するという形がとられた結果、少なくとも2つの変化が生まれていた。①言語が、思考や記憶のメモ、あるいは歪な振り付けの生成という役割から、伝達の役割へと重心を移した。②相手の言葉に従うという傾向が強まることで、指示へのモチベーション、あるいは共同制作の技術に関する探索可能性が生じた。
これを受けて、私(ら)は以下の要素から成る〈すべ〉を、手元の身体を被験体として提示することにした。①AがBに向けて、なんらかの対象(記憶やテクスト)に由来する事柄を語る姿を、撮影する。②その映像をBが細部に至るまで言語化し、振り付けのテクストを制作する。その際、Aの語りの内容とAの身体の作動を可能な限り対応させるような〈象徴〉を担う文章を、Bは最適と思われる場所に挿入する。③テクストをBがAに向けて読み上げる。そこで生じる誤解やぎこちなさを(③におけるAB間の関係も含めて)ABがテクストの書き直しの根拠として使用する。④制作されたテクストをBが読み上げ、Aがそれにあわせて動く、という状態を(少なくともBの読み上げの声とAの身体の動きが見える状態で)複数人に向けて上演する。
こうして、Aは過去の自分の動きをいったんBの身体ないしは言語を経由して再び自らに宿らせることで、もともとのトレースにあった内的な分解・再構成の問題に、ワークショップで行われた対話の持つ強い共同性を持ち込むことを試みた。私の営みと、相手の営みが、過去の私と現在の私のあいだの関係のようにして交わっていく時、私が振りをする相手がいつのまにか発見され、それ自体としては苦痛に満ちているはずのトレースないし言語化は、(資本主義的なものとは別の理由で)肯定され、共同での制作・修行が行なわれうることになる(のではないか)。補足だが、身体における無意志的連動を、詩文の制作(書き直しの論理)に用いることで、今回の〈すべ〉は、踊りと言語表現のそれぞれの技術を翻訳可能にする方法の模索という側面も持つこととなった。(文=山本浩貴)
山本浩貴(やまもと・ひろき)
92年生。15年に「いぬのせなか座」を結成、言語表現をベースに〈私の死後の私〉について議論・編集・制作する。「山本浩貴+h」名義で批評や小説、パフォーマンスなどを発表。近年は大江健三郎と荒川修作+マドリン・ギンズを研究。
村社祐太朗が解釈する手塚夏子のアイディア
今回のアイディアについて
わたしがここでお話したのは、手塚さんのワークショップが「自分の中に、言い尽くし得ない非自己がある」という考え方を思い出すために有効である、という内容でした。それにあたって昔の手塚さんのパフォーマンスの作り方である〈ある動きが記録された映像を見てそれを自らの身体でトレースしていく〉というプロセスにおけるソースと自己の関係と、昨今の作品の作り方および私が受けたワークショップの形式であった〈ある動きを他者の言葉による説明を介してトレースしていく〉というプロセスにおけるソースと自己の関係とを比較して、後者の方が自己を疑う(=非自己を思い出す)機会に恵まれているのでは、という問いかけをしたかったのです。しかし結果としてはそうではなく「映像はソースとしてテキストほどには豊かではない」といった、言いたかったこととは関係のない主張が目立ってしまったと思います。その原因は、「自己を疑う機会に恵まれている」をプレゼンの後半で「豊かさ」と短絡に言い換えてしまった点にあったと思います。そこでプレゼンを聞いてくださった方、あるいはこのアーカイヴを再生してくださった方に“二度美味しい”という事態がふりかかるように、改めてここに「手塚さんのワークショップがなぜ有効か」注意深く書きます。
重要視したかったのは「相手に理解できるように説明する」という対話の存在です。ある動きだろうと何だろうと人に何かを説明するときには「相手に理解できるように」という要件が発生します。当然のように立ち現れながら、けれど満たすことができるかどうかかなり怪しいこの困難な要件は、話し手にとっても聞き手にとっても私たちが自分を疑う機会として場を設えます。この言葉で、態度で、目線の位置で、身振りで、顔の皺で、“いいのだろうか”という疑いの場を。それはつまり普段の生活となんら変わることはありません。職場で、家で、友人と、恋人と、家族と、私たちはこの要件のもと対話を続けています。この忘れ易い要件、あるいは満たされたものとしてしまった方が何かとやり易いこの底なしの要件を思い出す機会として、手塚さんのワークショップは当面有効なのではという問いが、わたしが本来会場で投げかけたかったものです。(文=村社祐太朗)
村社祐太朗(むらこそ・ゆうたろう)
1991年東京生まれ。新聞家主宰。演劇作家。テキストを他者として扱うことで演者に課せられる〈対話〉を、パフォーマティブな思索として現前させる独特の作品様態が注目を集めている。演劇批評家の内野儀はそれを「本来的な意味での演劇」と評した。
PART 5 アフター・トーク 平倉圭さんを迎えて
ゲスト
平倉圭(芸術研究者)
聞き手
木村覚(BONUS)
平倉圭(ひらくら・けい)
1977年生。芸術学。横浜国立大学大学院都市イノベーション研究院准教授。芸術制作における知覚と行為の働きを研究している。著書に『ゴダール的方法』(インスクリプト、第二回表象文化論学会賞受賞)、『アメリカン・アヴァンガルド・ムーヴィ』(共著、森話社)ほか。
「BONUS 第4回超連結クリエイション テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)」
4組の作家・研究者チームによって未来のダンスは生まれるか? 今回も連結して連結して連結するシアトリカル・エンターテインメント!!
2017.1.18 19:00開場 19:30開演
料金:予約2000円、当日2500円
場所:東京工業大学西9号館ディジタル多目的ホール
制作協力:一般社団法人日本パフォーマンス/アート研究所
助成:アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、日本女子大学総合研究所
舞台監督:河内崇
フライヤー:進士遥(イラスト)、松森裕真(デザイン)
記録:渡辺真太郎
BONUS: 木村覚、森ゆうな